Information 6 交通関係/公共機関・施設、商業・生活環境等の案内
 <岩崎にあった「キリシタン屋敷」をご存知ですか? キリシタン殉教史跡を下に紹介しています>

「GH岩崎」から東名・名神高速「小牧IC」/名古屋高速「小牧北入り口」まで 自家用車で10分です

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名鉄電車小牧線・市内巡回バス
 
       
名鉄電車<名鉄小牧線>
平成15年3月(2003年3月)、名鉄小牧線(上飯田-小牧-犬山/20.5Km) の「上飯田」と、名古屋市営地下鉄「平安通」の間が、地下鉄新線の上飯田線(上飯田−平安通/0.8Km)で結ばれました。
名鉄小牧線が、名古屋市営地下鉄名城線「平安通駅」に直結し、さらに名城線が環状化されたことによって、名古屋都心部および名古屋市内主要駅への交通アクセスが大幅に短縮され、以前に比較して利便性が格段に向上しました。                  
   「グレースハイツ岩崎」→→→名鉄小牧線味岡駅
                      
§1987年 小牧−田県神社前間の単独立体交差事業<高架>が完成。
                                味岡駅は高架駅となる

                        §味岡駅発ダイヤ=平安通行き・犬山行き<15分間隔/1時間=4本>

  
「グレースハイツ岩崎」→→→味岡駅まで徒歩6分
                        §
「グレースハイツ岩崎」から約400mの距離です。
   味岡→→→名古屋市地下鉄 駅 間の所用時間=31分
  
味岡→→→名古屋市地下鉄 名古屋駅 間の所用時間=35分
                   
     §平安通駅・栄駅での乗り換え時間を除きます。
                                A 味岡−平安通・・・19分
                                B 平安通−栄 ・・・・12分

                              
C 栄−名古屋 ・・・・ 4分
  
名鉄小牧線/「味岡」発「平安通」<名古屋市地下鉄>/「犬山」行き時刻表・・・・・click
市内巡回バス<小牧市>
小牧市が市内を9コースに分けて巡回バスを走らせています。岩崎方面は、「岩崎団地/味岡コース」があり、「GH岩崎」近くのバス停は「岩崎」・「岩崎山前」・「味岡市民C」の3カ所があります。
   路線コース=小牧駅/市民会館/岩崎団地/味岡市民センター前/岩崎山前/小牧駅
                          
※折り返し運転(一部の停留所を省略しています) 下図<右>路線図参照
  
料金=200円/1日           ※停留所詳細・巡回時刻(発着時間)はお調べください。




               
 周辺の公共施設/生活・医療・教育関係施設・その他を紹介します 

<美鳥(みどり)幼稚園> <小牧市立味岡小学校> <小牧市立味岡中学校> <味岡児童館> <藤野クリニック> <小林外科内科>
<こばやし歯科> <友松耳鼻科医院> <サンクス岩崎店> <SEIYU味岡店> <ローソン岩崎店> <ナフコ田県店>
                                
                             ごうまえ<郷前公園>こうえん
                              

<CoCo田県店> <JA味岡支店> <名鉄味岡駅(高架)> <郷前公園> <The Amigos> <岩崎東部公会堂>
<味岡郵便局> <デイサービス ひまわり> <小牧消防署北支署> <おおはし動物病院>
<岩崎山観音堂>
<岩崎山熊野神社>


岩崎地内にキリシタン屋敷があったことをご存知ですか・・・殉教史跡をご案内します


キリスト教は、フランシスコ・ザビエル<1506〜1552年>によって、天文18年(1549年)に日本に伝えられ、織田信長(1534〜1582年)の保護により浸透したとされています。それ以来この地方では、元和元年(1615年)に宣教師ディエゴが美濃を中心にキリスト教の布教を始め、美濃から尾張地方北部にかけてキリスト教信者(キリシタン)が増加していったと言われています。

 Francisco de Xavier                                              
 ザビエルは、1506年スペイン・ナバラに生まれた。
 19歳でフランス・パリ大学に留学し、後に、イエズス
 会創設に大きく貢献した。ザビエルは、キリスト教を
 広める宣教師となり、日本へは天文18年(1549年)、
 宣教師として初めて九州の鹿児島の地に上陸した。
 その後、九州各地をはじめ山口・京都などで熱心
 に布教活動を行い、日本で初めてキリスト教を伝
 え、多くの日本人の信者を得た。日本には2年ほ
 ど布教活動のために滞在したが、1552年に広東
 の上川島で病没した。
「マイペディア」より部分抜粋
< 写真/東京カトリック神学院ステンドグラス >

ところがその後、各地のキリシタン団結の一向一揆と同様に専制権力にとって脅威となることを恐れた豊臣秀吉(1536〜1598年)によって、天正15年(1587年)にバテレン追放令が発せられるや、寛文年間(1661〜1672)になると、この地方にもキリシタン迫害は嵐となって押し寄せ、美濃はおろか尾張・丹羽・葉栗郡の93か村まで広まって、宣教師や多くの信仰あつき老若男女の信者が処刑されたり、拷問中に絶命したと言われています。
こうしたキリシタン弾圧・迫害は、鎖国政策が解かれるまで、200年以上にわたって続き、この地方にも、 天正8年(1580年)ころからキリシタンが増えたため、寛文年間の大迫害では岩崎周辺でも殉教者が出たとされています。古記録「岩崎村々鏡」には、「キリシタン屋敷」があったとの記述があり、寛文3年(1663年)から同7年(1668年)にかけてのキリシタン弾圧により、岩崎の豪農であった善右衛門一族17名がキリシタンであることがわかったため、全員が処刑されたという記録が残っています。
キリシタンであった善右衛門一族が住んでいた屋敷跡については、今まで多くの歴史家やキリシタン研究者によって研究が進められ、論議されてきたそうですが、昭和28年(1953年)に、小牧市岩崎地内の栗木栄三氏(故人)宅の庭園西北隅で、「十字の形」が連想できる灯籠<下写真の左>が発見され、調査の結果、ここが善右衛門一族の屋敷跡であったことが分かりました。


キリシタン屋敷跡<小牧市岩崎>
切支丹灯籠 上の写真/「キリシタン殉教史跡案内」より 殉教者慰霊碑
昭和28年(1953年)に発見されたこの灯籠<とうろう>は、 高さ約1.5mの織部形の石灯籠で、火袋を支える石柱の上部がわずかにふくらみ、「十字の形」が連想できます。また、灯籠の石柱前面の下の方に「マリア像」が刻まれていることから、「切支丹<キリシタン>灯籠」とされました。<現在、「マリア像」は風化が進み、不鮮明で読み取りにくいです>
灯籠の柱の部分を竿と言いますが、この部分に、わずかに膨らみをもたせることで「十字架」に見立てたり、目立たぬようにひそかに「マリア像」を彫り込んでいることなど、当時のキリスト弾圧・迫害から逃れ、必死にイエス・キリストを畏敬し、信仰していた村民たちの苦悩のあとがしのばれます。灯籠の発見で、今まで善右衛門一族が住んでいた屋敷跡がほぼ解明されたわけですが、善右衛門一族は、朝な夕なに屋敷の一角に置かれた灯籠の前でひっそりと祈り、胸の前で十字をきったことでしょう。
 ■「隠れキリシタン」や「宣教師」にまつわる悲話は、京都でフランシスコ会の26人<6人の外国人宣教師と20人の日本人キリシタン>が捕えられ、長崎に護送された後に西坂の丘で十字架に張りつけられた上、槍で突かれて処刑された「26聖人の殉教者」が最もよく知られています。
 
処刑された長崎の「西坂の丘」は、キリストが十字架にかけられたゴルゴタ (Golgotha)の丘に似ていることから、この丘を最期の「処刑の場」とするよう強く願い出たと言われています。
下の写真
HP/「殉教者26聖人」より

NISIZAKA NAGASAKI
弾圧がどれほど過酷で悲惨な状況であったかは、 当時の宣教師たちやキリシタンにしか分からないことですが、それにしても、この岩崎の地に「キリシタン屋敷」があり、史実にまつわるキリシタン弾圧の悲劇<善右衛門一族の処刑>があったとは、何とも言えない悲しい境地に至ります。

「切支丹灯籠」はその後、栗木家より小牧市へ寄贈され、現在、静かなたたずまいの岩崎山の中腹にある観音堂境内の一角に移設されています。昭和45年(1970年)に、小牧市有形文化財に指定されました。また、同所に殉教者の「慰霊碑」が移設・建立されています。
この近くで発見されている「キリシタン灯籠」の一つに、愛知県海部郡大治町の明眼寺にある「キリシタン灯籠」があります。こ
の灯籠は、当時の犬山(現犬山市)に住んでいたキリシタン約30人が逼迫する弾圧から逃れるため、安全な寺院という理由で、身
の危険を挺しながら、密かに運びこんだものと言われています。岩崎のものとほぼ同じ形の織部形石灯籠です。かなり風化して
いるものの、「マリア像」を読み取ることができます。


「グレースハイツ岩崎」の西約2Kmの所に、県下有数の規模を誇る総合体育館 「パークアリーナ小牧」 があります 体育館
紹 介
小牧市スポーツ公園総合体育館  「パークアリーナ小牧」
    所在地  小牧市
間々原新田737
小牧市スポーツ公園体育館「パークアリーナ小牧」は、愛知県内屈指・最高レベルの規模を誇る屋内総合体育館です。
自然との調和をテーマにした、スポーツと文化の交流拠点として誕生。体育館は、「メインアリーナ」<2,600u>「サブ
  アリーナ」<1,400u>「トレーニングジム棟」<327u>によって構成され、全国大会規模の競技にも対応できるコート
  ・練習場を備えています。その他、音楽コンサート会場・各種展示会場としても対応できるようになっています。
メインアリーナ=最大で5,000人を収容でき、<1>全国レベルの屋内競技の会場として<2>市民レクリエイション活
  動のステージとして<3>大規模式典・イベント等の会場として幅広く使用することができます。
サブアリーナ=個人や小グループでのスポーツ活動、中小規模のイベント・式典等に対応しています。また、メインアリ
  リーナ競技での練習用コートとしても使用可となっています。1階には、子ども運動室が併設されています。
トレーニングジム
棟=「トレーニング」<トレーニング機器=32種58台設置>「フィットネススタジオ」「会議室」で構成さ
  れ、健康・体力づくり・各種セミナー等に使用できます。会議室は、最大88名まで収容できます。

メインアリーナ・サブアリーナの東面に隣接して、「小牧市スポーツ公園サッカーグラウンド」があります。コートの広さは
  68m×135mで緑の人工芝を全面敷設し、夜間競技用照明設備=照明灯8基・200ルックスを備えています。利用対象
  種目は、サッカーを主体にフットサル・ラグビー・アメリカンフットボール・グランドゴルフとなっています。 <HPより>
メインアリーナ トレーニングジム サブアリーナ サッカーグラウンド
<所在地地図>